1 なぜ豆本を作るようになったか
ブックアーティストの赤井都です。
私は本が好きな子供でした。紙で工作をするのも好きでした。
自分が何になれるか、ということは分からないながらも、大学生になって、建築を専攻して博士号を取りました。建築では、立体物を造形する美しさや、企画を最後まで継続して作り上げることなどを学びました。しかし卒業前にバブル経済が弾けて、建築での就職はしませんでした。
私は本が好きだった自分に立ち戻り、小説家を目指すことにして、小説を書いて公募に送り、最終候補に残りました。その頃、自作の文学を販売するイベントが始まり、そこに出るために、自分で書いた物語を本にしました。それがこの本です。
【写真1】
資金はなかったので、自分でパソコンを使ってレイアウトし、プリンターで出力しました。紙束をホッチキスで綴じようとした時に、厚みがありすぎて、針が通らないことに気づきました。友達が、和綴じのやり方のウェブサイトのリンクを送ってくれました。それを見て、自分で和綴じの本にしました。単に普通の糸で綴じるのを面白くないように感じて、本の内容の幻想的な雰囲気を現わしたく、テグスで綴じました。
【写真2】
本の中も工夫をして、少し飾りを入れたレイアウトをしました。
本の内容は、私のオリジナルストーリーです。長い話も書いていましたが、自分で本を作る時、短い話ならページ数宇が少なくて作りやすいし、買う方も珍しくて買いたくなるのではと考えて、千字以内という制約の中で物語る短編集を作りました。
本の販売イベントは好評で、この本は20冊ずつを2回作り、イベントの後もウェブサイトで通販をして、ほどなく完売しました。
私は、目の前で自分の作った本が売れる面白さに気づきました。
イベントは翌年も続いたので、私は何かもっと作ったほうが良いと思いました。短編一つで一冊の本の方が、さらに完成度が高まると考えて、個性のある短い話を、その物語を表現するような本にしてみました。たとえばこのような本です。
【写真3】
これは壜に入った巻物で、ビーズを二粒入れたので、持ち上げると小さな音が鳴ります。
また、このような本も作りました。
【写真4】
これは後に、『寒中見舞』という活版印刷の豆本に作り直すことになります。今日は実物も持ってきたので、後で直にご覧になって下さい。
この当時の私は、生活の中に物語がある、ということがコンセプトだったので、このような、栞のようなミニ掛け軸も作りました。
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こうして本や紙物を忙しく自作するようになり、小説の友達は、赤井さんは物づくりばかりしていて、小説を書く時間がなくなってきたじゃないか、と嘆きました。
私が本づくりを始めて3年目となる、2004年に作った6番目の作品はこれです。
【写真6】
物語が短かったので、本は小さくなりました。内容は、籠の中に閉じ込められる鳥の話です。これは籠代がかかったので、3000文字しか入っていないのに、本のマーケットイベントとしては高く感じられる700円でした。
売れ残った数冊を、古書店の中のギャラリーに持って行った時に、店主が、これは豆本だね、豆本は世界にコレクターがいるのだよ、小さくても高価なのは狭い店にとっては良いことで、置きやすい、と教えてくれました。
その時に初めて、豆本というものを意識しました。
豆本というキーワードが私の中で浮上した時に、豆本を販売するマーケットイベントがあると知りました。出店すると、同じく出店をしていた人が、この籠に入った作品を買ってくれました。そして、私の物語が気に入ったので、自分が挿画をつけたい。そして一緒にコンペティションに出そう。22回続いている、国際ミニチュアブックコンペティションというものがあるのだ、と教えてくれました。
それが中村高之さんで、共同制作者として名を刻むことになりました。
そして私たちが作ったのが『籠込鳥』でした。
【写真7】
76ミリ以内という規定に本を収めるのが大変な技でした。
コンペティションの応募要項を、ミニチュアブックソサエティのウェブサイトで何度も何度も読みました。
中村さんと私は、おびただしい量のメールをやりとりし、試作品が何回も郵送で二人の間を行き交って、奇跡のように、締切日前に作品が完成しました。
私が初めて作ったハードカバーの豆本です。ミニチュアブックソサエティのコンペティションで、日本人初受賞となりました。遠い日本で、誰も知らない私たちが作った豆本が、歴史ある賞に受け入れられて、大変驚き、感謝し、嬉しかったです。
受賞の知らせを、各メディアに送り、ラジオや雑誌が取材に来てくれました。私は一躍、その世界での有名人となりました。
ソサエティから受賞を知らせてくれたメールはとても丁寧で、また応募して下さいね、と親切に書いてありました。私は一回受賞したら終わりかと勘違いしていましたが、それで、また応募して良いのだな、と思いました。
コンペティションのカタログを見た人たちから、通販の申し込みがメールで届き、豆本が18000円で完売したことも、大変報われて嬉しかったことでした。私は、友達が買える値段にしようとして、自分のアーティストとしての力を抑えてしまっていたことに気づきました。
そこで、次に、『雲捕獲記録』を作りました。これは、雲を捕まえる話で、活版印刷と、モヘアニット編みのジャケットとコラボレーションして作りました。
【写真8】
この作品で翌年も連続受賞となりました。
カタログでまた注文が来て、ニューヨークにも通販で送り、感想を詩のメールでくれた人と、次のコラボレーションが始まりました。
受賞を知る頃に、ルリユールを本格的に習うことにして、定期コースに申し込みました。ワークショップの依頼もさっそく来て、製本を習い始めながら先生役もしました。
【写真9】
豆本は日本で新たなブームを迎えたと言えるでしょう。ビルゲイツと並んで、新聞に載って作品を紹介されたこともありました。テレビにも何度も出ました。
【写真10】
製本ワークショップは、ブックカフェ、古書市、図書館、カルチャースクールなど、いろいろな場所で行い、200人以上の主に初心者に教えました。
2 ブックアーティストの生活
こうして2002年に初めて自分の本を作り、2006年にミニチュアブックコンペティションで初受賞して、私は豆本に呼ばれていると思って豆本の道に入りました。以来、18年にわたって、フルタイムの豆本アーティストとして活動しています。
豆本を作るとは、どういうことか。
私の今の工房は、このようです。
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机が三つと、パソコン、活版印刷機、プレス機などがあります。
製本家は、本の外側だけを作るのに対して、私はまず、本にする企画から始めます。
何の本を作ろうか? と中身から考えます。
自分の物語で本を作ることもあれば、自分の好きな有名作品を本にしたい時もあります。
本の中身は、本で一番大事なところだと思っているので、本の内容はよく吟味し、美しいレイアウトになるように時間をかけます。
本にするためには、一つに選び取らなければなりません。ウェブサイトは常に更新中で構わないのですが、本にするとは、紙の上に文字も絵も固定すること。
たとえば、デザインをして半年くらいがたつ。そしてある日、意を決して入稿します。本文紙の紙代と印刷代が、本づくりで一番お金がかかる部分でもあるので、やり直しのないように、慎重に事を進めます。
文字や絵をを印刷して、ようやく綴じる中身ができます。印刷は、パソコンのプリンターですることも、活版印刷ですることもあります。活版も自分でしたり、印刷所にオーダーしたり、いろいろです。デザイナーとコラボレーションすることもあります。私は建築を学んでいたので、一つの物を作るために、専門家が協力しあうということは違和感なく受け入れられます。
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これは活版の印刷所に行って、印刷家と、インクの盛りや圧を決めているところです。一週間後くらいに、印刷物が届きます。
印刷は大変だけれど、数日かければできる仕事量です。
それから数か月かけて、私が製本します。
私の作業は主に製本家であり、時にデザイナー、編集者、画家、著者、販売者です。
私の心の在り方は、詩人、アーティストです。
自分の物語を、世の中に広めたい、という小説家の気質があるので、本は基本的に販売するものとして作ります。
手作りで、できるだけ多くの数を作ります。一つの本は、だいたい20冊くらい作ります。少なくて5冊、多くて200冊くらい。400部くらい刷って、ワークショップ用の素材にもすることもあります。
【写真13】
一冊の本を作るのに、どれくらい時間がかかるのか、とよく聞かれます。
20冊くらいをまとめて作業進行しているので、一冊どれくらいかよくわかりませんが、企画、コンテンツで、半年から2年くらい。
印刷して製本に入ったら3か月くらい。
一つの本を製本していると季節が変わります。
とても忙しかった、個展のあった年に、計算してみたら、その年は、一週間に一冊、特装版を作っていた計算になりました。自分で活版の組版、印刷をして、製本、函作りまで。忙しかったわけです。
これまでの18年間に、2000冊以上の豆本を作りました。手作りなので、際限なく多くは一人では作れないです。希少価値を上げるために作りすぎないように、と言うギャラリーもありますが、古書店さんからは、あまりにも少部数だと作品が残らないよ、と言われています。私は自分が作れるだけ作ってきました。
【写真14】
たとえば、製本作業中は、これくらい散らかっています。
製本する素材が揃ったら、針と糸で綴じていきます。
本づくりは、積み重ねの作業です。
一つの作業の上に、もう一つの作業が積み重なっていきます。
もう変えられない部分もありながら、そこにもう一つ積むことで、今よりきれいにならないといけない。
全てがうまくいっていると思えない時もありますが、あきらめずに手を動かし続ければ、いつか完成します。
【写真15】
これは、革の表紙をつけるために、革すきをしているところです。
本の表紙は、革、布、紙など。本の内容に応じて、外側を考えます。
私の場合は、内容を表現するアートとして本を作っています。
たとえば、『不思議の国のアリス』はキャロルが作ったように、赤い革が似合うと思うので、革表紙に作りました。
【写真16】
本を作り始めた最初の頃は、作りたい形をどのようにすれば作れるのか、分かりませんでした。
10年かけて、数か所の製本工房や製本家の元に、週一回通って、伝統の手製本のやり方を学びました。そうして技術の引き出しを増やして、複雑な形状も作れるようになりました。
【写真17】
立体物なので、作ってみないとわからないこともあります。角の合い方や、裏側、傾けた時の重力など。
アートオブジェは、ひっくり返して底を見るような鑑賞の仕方はしませんが、本の場合は、向きが変わっても美しく成立している必要があります。特に小さな本は軽々しくひっくり返されやすいですが、小さくてもばかにされないような、おもちゃではなく、美術品であり、いとおしく、大切に扱われたい物だという佇まいを発揮したいものです。
開いて、中身を読まれた後で、また元のように閉じなければなりません。
【写真18】
本を作る時は、試作を実際の紙で、見本を作ってみるのが一番わかりやすいです。
それで、違うなと思う部分を、変えていきます。
文章を推敲するように、形も推敲します。
少し厚ぼったく感じる紙を、違う紙に変えてみるのも一つの方法。
本の余白や表紙も大きな要素です。
小さな本の一ミリは大きいです。
【写真19】
自分の中の思い込みを捨てて、作りかけの本を見ます。
そして、この本はどうなりたいか?
自分が、こうしたかった、という道筋をいったん捨てて、印刷された紙が発している意見も、聞いてみます。
そして美しい造形をめざします。
【写真20】
この工房で、二か月に一回、教室をしています。私は制作で忙しいので、教室に多くの時間を割くことは難しいです。
定期教室の他に、要望があるとワークショップをします。たとえばこのような、活版で自分たちの言葉を組み、絵をつけて、製本をした本をワークショップで作りました。
【写真21】
また、オーダーメイドも受けています。
これはオーダーで作った豆本の例です。20部だけ作り、凸版ミュージアムで販売され、ほどなく完売しました。
3 世界各国でのブックイベントでのようすをお見せします。
【写真22】
さて、18年の活動の間に、著書本が三冊出て、いろいろなところでワークショップ、個展をしました。
日本の中でだけ出会いを求めていたら、狭い世界にいてしまいます。
ですので、世界の他のどこかに、私の本でなければならない人がいるだろうと思って、イベントに出かけています。
「わかる、わかる」という人が現れると、その物を通じてつながることができます。地球の裏側でも、年が離れていても。
ブックアートはアートの最先端だと思います。本自体は人類の歴史と共にある古いなじみの物ですが、本でアーティストが表現をするということが、印刷や製本を学べば、可能です。ある意味、ルネサンス的な総合芸術に、新たな可能性を感じます。アートブックの可能性に気づいているのが私だけではない証拠に、あちこちでアートブックフェスティバルが開かれています。
【写真23、24】
2017年10月 第三回香港アートブックフェスティバル
集合住宅をリノベーションした、広い公共スペースがアートのために提供されています。香港の公共機関がアーティストとして私を呼んでくれて、 展示に参加し、ワークショップをしました。
【写真25,26】
2018年10月 UAE(アラブ首長国連邦)シャルジャ首長国での、シャルジャ国際ブックフェア
The 40th Sharjah International Book Fair (SIBF)
ブックフェアから招待されて、日本の文化を紹介する一つとして、豆本ワークショップをしました。
世界で一番大きなブックフェアで、人が多すぎて写真がうまく撮れないくらいでした。
ワークショップ専用ブースが作られて、スクールバスで生徒たちが来ました。
【写真27,28】
2023年4月 東京、中野での個展
コンペティション受賞作品5種も展示しました。
ギャラリーで、本が展示できるなんて、と驚く人もいます。つまり、ギャラリーで鑑賞するほどの、見ることもできる本という存在を知らなかった人もいます。
4 ブックアートとしての豆本の可能性について、私が感じていることをお話します。
【写真29】
豆本には、小さいからこその自由があります。
紙が重たいと、できないこともできる。
重力からほぼ解き放たれて造形できます。
軽やかさが、表現の自由となります。
大きい本は、権威や知識、立派さなどを披露します。
偉大な画面の広がりがあります。
小さな本は人々を近づけます。
小さな本は自分に近い。親しみがあり、内側への広がりがあります。
小さな画面でも、広い中身を含むことができます。
日本人は、盆栽や俳句が好きです。
限られた小ささの中で、表現する文化です。
小ささの中に宇宙を見るのが好き。私もそうです。
本は人とつながるものです。
紙は、紙が漉かれてきた文化によって在る物です。
インクも、印刷技術も、人間の長い歴史による文化です。
綴じることは、つなげること。長くて均質な糸も文化的な物。
本の中身も、人の言葉であり、絵であり、人間らしさの源です。
本は、未来の人とも、過去の人とも対話できる。つながれる物です。
昔は、本が王侯貴族や寺院のオーダーメイドで、高価であたりまえでした。
今は、この本を欲する人のためにアーティストとして作ります。
一般市民でも、思い立てば買える物として、人生のそばにあるアートとして存在していたい。
本には、展開の面白さがあります。
一枚ものの絵ではできないことができます。
絵と文とがマリアージュします。
【写真30】
本には歴史があります。
数千年の、各民族の、伝統の形、様式が既に存在しています。
その中で、新しい本を今、私が作る。
古い知識を使用する。そして、新しい本を作る。
まだ見たことのない本を作りたいと思って作っています。
本には、古書市場もあるので、時代を超えて評価される物です。
今、デジタルの本が増えています。だからこそ、手触りのある物でなければいけない本を作る意義があります。
紙の手触りなどは、脳を刺激します。
脳はたぶん、複雑なものが好き。手触りのあるものが好き。
開いた時の驚き。ページをめくった時の違う景色が広がるかんじ。
知っている風景に入っていくようななつかしさ。
【写真31】
本という物は誰もが知っています。
それが小さいだけで驚きになります。
しかし、そこに留まっていない。
小さいけれど本として読むにたる中身がある。
何度読んでも、見飽きない面白さがある。
違う発見がある。
そうした、見飽きない本を私は目指しています。
私の場合は、本の外観を見た時から、物語が始まっています。
小さな本という形は、舞台装置。
この舞台装置だからこそ発動する物語を、届けたい。
単に言葉だけを渡すのではなく、いろいろな彩りと共に渡したい。
【写真32】
私の次の挑戦は、クラウドファンディングで本を作ることです。
手作りの豆本では、数十人の人にしか届けられない物語を、1000人に届けたい。
ことのきっかけは、こうです。
私は2016年に、豆本『航海記』を30部作りました。この本はしばらくして完売しました。本の中身は、私のオリジナルストーリーです。
2020年に個展をした時に、完売した豆本も展示して、読書をする体験を設けました。
その読書をした人たちのうちの、ある男女が、豆本『航海記』が一番好きだということで意気投合し、めでたく結婚しました。
そして、そんなに素晴らしい物語なのに、30部だけしか世の中に存在せず、絶版になっている状況を変えたい、とプロジェクトを始めました。
去年から、豆本の試作を繰り返して、豆本を300部作ります。
これは日本語の活版印刷の本です。
そして、もう少し大きいサイズで、一般の書店に並ぶような本を、1500部くらい作りたい、そのためにクラウドファンディングをしようとしています。
この写真は、アメリカに出発する二日前の打ち合わせの写真です。
10月には、クラウドファンディングを始めます。
ご清聴ありがとうございました。
さて、実際に幾つかの豆本を持ってきたので、現物をご覧下さい。
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