赤井都の豆本
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   アートブックの展示販売 本の修理と保存の記録 赤井都の豆本づくり日記

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小さな本を手で作る日々

2024/03/18
賀集由美子の見たインドネシア 〜チレボンのバティック〜
佐倉市立美術館 3階展示室1
2024年3月16, 17日

見に行って来ました!
インドネシアのチレボンで、バティック工房を開いていた賀集由美子さん。外国の地の伝統工芸の世界に入り、芸術作品の域に達する生命樹などの作品を制作し、また、ペン子ちゃんという親しみやすいキャラクターも展開し、バティックの可能性を広めていました。ところがコロナが始まった頃に逝去され、関係者に大きな衝撃を与えました。その追悼ともなる豆本を、私はオーダーメイドで作成させていただきました。
豆本は、布を全面裏打ちで使い、本を掌に包んで読んでいく時に、布の手触りをいつも感じ、文章と一緒に布の柄も同時に展開し変化していく巻物豆本としました。バティックと風合いが釣り合うのが、和紙に活版印刷だったので、印刷の手間もかけました。
豆本
今回の展示は、賀集さんの初期作品から主な作品、代表作となる大作、ペン子ちゃんなどのグッズ展開などの作品などを網羅した回顧展で、私の豆本も展示されるということで、見に行って来ました! 千葉県の佐倉市が賀集さんの御実家ということでこの場所が選ばれたそうです。
バティックの作り方の説明も、ギャラリー内の展示や、トークで分かりやすく理解が深まりました。バティックはユネスコの無形文化財に指定されていますが、その後でむしろ需要が高まって、安い物が増え、高度な技能の職人不足や資材の低下がみられるということ、工芸一般は後の世になるにつれ良くはならないこと、身につまされました。
バティックの作り方は、本づくりする人の視点から言い換えると、凹版の多色をするようなかんじなんだけれど、布の上にそれをやるために、彫るのではなく蝋でマスキングしなくてはいけなくて、版がそのまま作品になり、結果として一枚しかできない一点もの。デザインを形にするまでに、それぞれの技能の職人さんが関わり、品質管理された分担作業の結果として、できる一枚の作品。
賀集さんの「生命樹」のバティックは、NHKでも報道されていましたが、そこで作るシーンがあったものよりも以前に作られた、大きなものが飾られていて、圧巻でした。その作品はむろん、それ以外の作品のあれもこれも、美術館に収蔵されていてもおかしくない芸術作品ですが、布を使うものとして作られたことが、私にとって、本は読むものという姿勢にも通じるものがあり、しみじみと眺めてきました。
100点以上の作品が一部屋に集まり、とても見応えがあり、説明も多く、布がきれいに広げられていて、質感も感じられ、見やすい展示でした。ペン子ちゃんのインドネシアの今の日常も楽しめました。人がすごく集まっている展示なのにも驚きました。私は賀集さんと直にお会いしたことはなく、チレボンにも行ったことはないけれど、そうした視点からでも、充分見応えのある作品展だったので、今後の可能性にも期待しています。


2024/03/13 豆本『航海記』新装版を作っています。今日はついに、片面の文字印刷がなされました。


2024/03/08 昨日、一冊の本が大きな転機を迎えていました。航海記会議がうちのアトリエで開かれ、本の形の試作が進みました。クリエイティブな午後から夜を過ごし、それぞれに分かれて、紙を染める人、私は来週明けにまた紙を買っておいて、そして活版印刷の立ち合いがあります。6月の夏至の頃にお披露目を目指しています。
今朝は雪、そして晴れました。
豆本


2024/03/02/小さな本の休日 自宅アトリエでの教室でした。参加者さんの一人が作ったのは、シンデレラのお話の本。折本仕立ての本と帙です。本は年末から作っていたのが完成しました。草花が漉き込まれた紙は、以前に輪島の朝市で買った紙だそうです。帙は、教室で思いがけずアイデアが出て、一日で作りました。
 また別の参加者さんが作ったのは、ハガキサイズが飾れるフレーム。プレゼント用です。バティック布でくるみました。バティック布を広げて作業していると、猫が必ず来て座ります。
 三角形のケースも作ってみました。今後のワークショップで、これも作れるかも。
 おやつは、くちどけの良いムースでした。お疲れ様でした。
豆本


2024/03/01/本が好きなら、本の修理の仕事があります。


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FAQ


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豆本の歴史
 手のひらに乗るくらいの小さな本の歴史は、書き言葉と同じくらい古く、各民族がそれぞれ、その時代の製本様式で小さな本を作ってきました。「本」と言われてどんな形をイメージしますか? あなたがイメージした形と違っても、今ある本の形よりもずっと古くに作られ、その時代に「本」として通用していたのならそれは本と言えるでしょう。4000年前の小さな楔文字の粘土板(約4cm)が、古代メソポタミアの遺物として残っています。内容は牛などの取引を記した文書(もんじょ)などでした。日本では8世紀(奈良時代)に高さ約6cmの豆巻物が百万部も印刷され、高さ約45cmの塔の容れ物に入れられました。これは現存する世界最古の印刷かつ大量生産の「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」で、豆本でした。一方、西洋では、15世紀頃に洋本の形で作られた手描きの祈祷書が今も残っています。1455年にドイツでグーテンベルクが活版印刷を始め、1501年までに活版印刷された物をインキュナブラ(incunabla)と呼びますが、インキュナブラの中にはベニスで印刷された高さ約7cmの聖母マリアの本もあります。
 活版印刷以降の500年間、欧米では数千種類に及ぶ小さな聖書や娯楽の本、ドールハウスの本、誕生日や暦の本などが作られました。子供用の豆本も、大人用の豆本もありました。日本では江戸時代に漆箱入りの源氏物語の一揃いなど、雛道具としての豆本のほか、着物の袖に入れて気軽に持ち運べる、実用や遊びの本「袖珍本(しゅうちんぼん)」がたくさん作られました。これらは和綴じの本で、男性にも女性にも使われていました。
 このように、人間の本の歴史と共に、小さな本はありました。この頃の本は全て手作り。小さな本は少しの材料ですみ、持ち運びもしやすい利点がありました。けれど、実用の用以上に、世界各国で豆本に凝ってしまったのは、小さな本の持つ独特の魅力のせいなのか。
 本とは、情報を伝えるもの。本が時代を超えれば、文化を伝えるものとなる。そうした文化の器である本が、小さい。たったそれだけの仕掛けで、豆本は、それを見る人間を、不思議なことに可愛いと微笑ませたり、愛着などの気持ちに誘ったり、一つの世界を掌に収めているような満足感を感じさせたりもします。
 小さいので、本は軽い。素材の軽さは、制作の際、形に大きな自由を与えます。

豆本の歴史

19世紀イギリスの祈祷書。毎日一段落ずつを読む。活版印刷。

豆本の歴史

袖珍本の例。手前は西南戦争の歌で、ページ半ばにキセルの焼け焦げの跡があり、宴席で使われたことを伺わせる。旦那が芸者に会いに行く前に、むしろの上で売られていた流行歌の本を袂にしのばせ、はやりの歌を覚えたとか。表紙は色刷り木版。奥は明治時代の図案集、木版一色刷り。手書きで墨や朱が入れられ、図案集として実際に使用の痕跡あり。

豆本の歴史

昭和日本の豆本の例。
サントリーの洋酒マメ天国と、地方豆本の会による出版
(手前:古通豆本、奥左:緑の笛豆本)。

豆本クイズ <うそ?ほんと?>
  豆本は月に行って帰ってきたことがある
  世界最古の、紙への印刷物は、豆サイズだった
  アラビアの砂漠には、何千という豆コーランが埋もれている
  豆本は、19世紀イギリスの出生率を下げる原因となった
  表紙が金銀宝石で覆われた豆本が17世紀にパリなどで作られていた
  イギリスのメアリ女王がウィンザー城に建てたドールハウスの中には、豆本図書館があった
  ナポレオンは遠征の途上、豆本を携行し、当時流行の文学作品を読んでいた
  アブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言は、当初豆本の形で発行された
  フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、豆本コレクターだった
  ピカソの筆による豆本が存在する
  ポール・マッカートニーが「ヘイ ジュード」の歌詞をペン書きした豆本がチャリティオークションに提供された

 全て本当のことです。

豆本のサイズ規定
 最新の印刷技術や手工の技、職人魂などをつぎ込んで、凝って作られた豆本は「小さな宝物」(tiny treasures)とも言われ、アメリカでは3インチ以内(7.6cm)、ヨーロッパでは4インチ以内(約10cm)をミニチュアブック(miniature book)と呼び、コレクションの対象となってきました。日本では、紙を折り畳んでいって自ずと成るサイズで作られたことが多く、愛好家は多くとも、大きさの定義はそれほどなされずに今日まで来ました。
 昭和の2回の豆本ブームで作られた豆本の多くは4インチサイズに近く、これは文庫本の約半分の大きさです。
 文字の大きさは、新聞の字から名刺の住所の字くらいの大きさで、虫眼鏡なしに読めます。欧米でミニチュアブックと言う時、サイズの規定のほかに、文字が肉眼で読めること、という規定もあります。7mm以下の本はミニチュアブックではなく、マイクロブックとカテゴライズされます。

世界最小の豆本
 かつて、20世紀の間じゅう、世界で一番小さな本を作ろうと、イタリア、イギリス、アメリカ、ドイツ、ユーゴスラビアなどが次々に記録を塗り替えてきました。2012年まで、ロシアと日本(凸版印刷)が世界最小の本のギネス記録を保有しています。小さすぎて、計測結果の誤差が大きいため、2冊ともがギネスに掲載されました。2012年凸版印刷は新たなマイクロブック『四季の草花』を出版しギネスに申請し、承認されました。2007年からは、アメリカの研究所が作った極小のナノブックも存在します。カリウムイオンビームで、シリコンの結晶体の上に文字を彫った30枚のマイクロタブレットからなる本で、ISBNコードがつけられました。こうなってくると、めくれず、読めず、小さな本が「本とは何か」という問いを突きつけてきます。
 現在、世界各国で豆本を楽しむ人たちがいます。日本、アメリカ、ロシア、ドイツ、イギリス、台湾、韓国……。小さな本を見て触って、読む楽しみ、所有する楽しみ、作る楽しみ、贈る楽しみは、その物の魅力で人をつなぎます。

本ってどんな種類があるの?
 綴じの構造から大きく分類して、「中綴じの仲間」「折本の仲間」「平綴じの仲間」と3種類で考えられます。
 実は、こうして明快に3種で分類したのは『楽しい豆本の作りかた』が最初で、本の種類を綴じの構造で分類した文献は『1000 Artist's Books』以外に見当たりませんでした。一時代の一社会の中では同じ本の形式が作られ続けたため、本全体を構造で分類する必要がなく、現代の製本家の多くは自分の好きなスタイルだけ作るため他のスタイルと比較分類する必要がなく来たと思われます。

現在の豆本
 これまでの豆本制作の歴史では、有名作品を縮小したものが多く作られてきました。しかし今、日本でも世界でも、本を表現手段としたアーティストブックが作られています。赤井都が作るアーティストブックは、オリジナルの物語を小さな本の形にしたものです。自ら物語を書き、そのイメージからデザインを起こして、ふさわしい装丁や素材で形にし、手のひらの上に軽やかに自由に乗る、一つの世界。ささやかに小さく、ぎゅっと内容が詰まった小さな本です。近づいて手にした人だけが、中を読むことができます。大きな本は大きな声で立派に語るけれど、小さな本は小さな声であなただけに囁きます。

 >>豆本とは 参考文献
  『Miniature Book: 4,000 Years of Tiny Treasures』Anne C. Bromer, Julian I Edison, Harry N. Abrams, 2007
  『本のれきし5000年 (たくさんのふしぎ傑作集)』辻村 益朗, 福音館書店, 1992
  『私の稀覯本(きこうぼん)豆本とその周辺』今井田 勲, 丸ノ内出版, 1976
  Miniature Book Society Newsletter, No.75, 2007年7月号

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