Apr 24, 2012
本って何
日曜夕方に放映された、日テレ「わたしのLife On」、多くの方に見ていただきました。偶然見た方もさすがに多く、いやーありがたいです。 ちなみにうちの親は地デジ化せずワンセグ持たずなので見ていません。この機会にテレビをプレゼントするべきだったかな?活版印刷機は、動画だとやはり伝わりますね。
あともう一つお尋ねの多かったモノクロームの少女。リアル私です。本が純粋に好きだった気持ちを、自分でもこの写真で思い出しました。服や髪型からすると幼い気がするんですが、妙に分厚い本を前にしているのがちょっと謎。
書籍の修理と保存では、子供の時によく読んだ絵本を修理しています。和紙でページの破れを修理しているところが映りました。私は、全部末っ子がビリビリッとやったと思っていましたが、私もビリビリッとやっていたそうです。たしかに、本の奥付の年号は私が生まれるよりずっと前の発行年なのが若干引っかかっていたことでした。昨日は、ヴォーグ学園で私として3回目の初級クラスの始まりでした。4月ですから。
それから、下のコラムに書いた、「豆本の始まり」について。以前、「粘土板は本じゃないと思う」という意見を聞くことがあり、そんなものかなと思っていましたが、思い直しました。これは「何を本と思うか」、「本」が何か、という定義に関わっています。ユネスコでは「書物」を定義していますが、これは現代の統計の用のため。書物冊子型の洋本の始まりと普及は、キリスト教の始まりと普及に関係しています。羊の皮を半分・半分・半分に折り畳むと16ページの一折丁ができます。これは紙素材ではない本の一例です。さらにさかのぼって紀元前2世紀のアレキサンドリアの図書館にあったのは、パピルス100万巻でした。パピルスは折り曲げに弱いので、本は巻物の形でした。巻物でもここは「図書館」だったでしょう。こうしたことを考えると、紙のページをめくらないものは本じゃない、とは言えないと思います。本を「ものごとや、自分の考え方、気持ちなどを文章や絵であらわし、書き写したり印刷して、ひとまとまりにしたもの」(辻村益郎)と考えることを了解すると、粘土板は一冊、いや一枚の本だと納得できる気がしました。本の形の違いは文化の違いなので、もし「和綴じ本は野蛮な形式で本じゃない」と言われたらむっとするように、粘土板もこの時代この地方の本だったのだと思います。現代人は、電子書籍にも慣れ親しみつつあるので、再びタブレットの時代に入っています。
「たくさんのふしぎ 本のれきし5000年」は、子供から、忙しい大人にまで、とってもわかりやすく本の歴史がダイジェストで書かれています。
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