2012年11月2日

その本はどんな考えで作られているか

 製本工房によって、製本の方法が違う。同じ工房でも、製本家一人ずつで違ったりもする。幾つもの方法を見て混乱している人もいるかもしれない。でも、「その本はどんな考えで作られているか」、これさえわかれば、混乱はしない。
 たとえば、先日の帳簿製本。帳簿は一年間毎日書き込み、その後法定で七年間保管したのち破棄される。なので、最初の一年間は、日々の会社の業務の中で毎日閉じ開きされ、上に他の物が載ったりするかもしれないし、投げ出されたり取り落としたりするかもしれないし、過酷な扱いが予想される。それに耐えたら、その後は、七年間ほとんど閉じたままの状態で持てばよく、最終的には通常この世に残らない運命にある。基本的に全てオーダーメイドで、罫線の本数や背の文字入れなどは、会社や病院の部署ごとの要望に応じて作られる。
 帳簿は、たくさんの数を一気に作るので、製本は何人もの職人さんが分業で、かがる人は一日じゅう糸かがりし、のりをぬる人、貼る人も別だった。使用する紙は「帳簿用紙」のみ、綴じ糸も太いか細いか二種類。こうした、使用素材が一定で、作業を分担するという条件の元で成立するテクニックも多数あった。こうした「手の記憶」は、現場に行って実際に一緒に習って引き出される。帳簿製本の体験は、日本の洋本製本の歴史の、ミッシングリンクになりそうな一端を知ることができ、大変貴重な体験だった。
 しかしたくさんの製本の方法を、いったいどうして選んでゆけばよいの、と思われるかもしれない。
 私の感覚としては、1~数百冊作るのと、300~数千冊作るのでは、本に対する考えの土台が違う。おおまかに、1~数百冊をルリユールと考え、300~数千冊は商業的な手製本と考えればわかりやすい。
 西洋伝統手工芸としての製本の技「ルリユール」は、生産量としては1冊からふつうは数冊、プロの製本家がどうがんばったところで数十冊から数百冊程度(スケジュールを一年間拘束とかしても)。1000冊作るのは、ほとんど無理。作られた本は、保管状況や、作った手の巧拙があっても100~数百年持つだろう。ルリユールの本作りの思想をざっくり私の今の理解で言ってしまえば、作業工程の手数をかけ、使用素材を厳選して、長持ちする本を作る。それだけ手をかけて長持ちするに値する内容の本をルリユールする。
 一方、帳簿製本や、美篶堂などの手製本は、明治期からの商業的な製本の流れにある。「手製本」と言っても、昔は機械がなくて手で作っていただけのことで、300~数千冊を早く間違いなく作ることが求められた。戦後に大規模な機械ができると、手作業は機械にとってかわられ、数万冊の本が工場で生まれるようになった。ホットメルトを使った糊とじの商業製本は、戦後からの本なので歴史は浅い。1970年代のホットメルトはすぐ割れたりページが外れたりしたようだが、今は糊の改良などが進んで、50年くらい持つようだ。商業製本の思想は、帳簿や読む本など、目的によってそれぞれだろうが、数十年もつ物を数百冊作る、ということになるだろうか。
 私は、こだわりぬいて本作りをしているかのように思われているようだけれど、別に何も珍しいことをしているわけじゃない。手法や素材を考えて選ぶのはアーティストとして当然のことでしょ? ゴッホだって使う筆の太さくらい選んだと思うし。イラスト一つ描くのだって、ペンで描くか鉛筆を使うかで、その絵の方向性や表現できること、絵の将来の扱いまでそこで決まってくるでしょ?
 手作りさえすれば丁寧ってもんじゃない。私はむしろできるだけ手を抜いて合理的な方法で作りたいと考えている。そうしないと本が高くなって仕方がないから。でも形として美しくないと嫌なので、必要なことはする。せっかく作っているのに、これじゃあちょっとね、どうしてここを抜くかなあ、という本にはしたくない。いかに丁寧によりも、どう考えて作ったかが大切だと思う。しかも「丁寧に」っていうのが本人の気持ちだけのことで、選んだ素材や手法などが全くその考えに一致していなかったら意味がない。

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